死に方の観念は多様であること
沼畑(以下A)
最近、偶然なんですが、私の親しい人がこんな本を持ってきたんです。〈知識偉人99人の死に方〉という本なんですが、99人の死に様や、死に対する観念が描かれている本で、非常に面白い。
佐藤(以下S)
面白そうですね。
A 丸山圭三郎という教授は、死があるからこそ生の喜びがある、死を拒否するのではなく、正面から見つめることで生が豊かになる、ということを言っていて、佐藤くんが日頃言っていることに近いなと。
S そうですね。生の中に死があるということですね。
A ほかにも、葬式などするなと言う人や、いろいろ面白いことを言っている。堂々としてるんです。思想家でタレブという人がいて、「人生は予測がつかない」ということを言っている人なんだけれども、たとえば人が処刑されるような目にあっても、堂々としていろと言うんです。この本に出てくる知識人もそうだし、昔の武士道に近いところもある。それがどうして良いのかはわからなくても、なんとなくこの考えを受け入れられる気がしないですか。
S そうですね。わかります。あと、作家の遠藤周作とかは自分がガンでもできれば教えてほしくないという人だったらしいんですけど、死ぬ瞬間まで知りたくないと。単純に怖いからだそうです。彼はカトリックですよね。仏教が根付く日本では死をいかに受け入れるかってとこに美学があるイメージで、宗教上でも死への向き合い方のギャップがあるのかなって。
A 硫黄島では栗原中将というリーダーが、自決はするな、バンザイ突撃はするなと言うんですが、「なぜ潔く死なせてくれないのか」と部下が反発する。戦後教育を受けた世代は、なぜそんな無駄死を部下たちは望んだのか理解できないと思うし、そういう映画をアメリカは作る。でも、「潔い死」っていう言葉をいろんなところで聞いていると、その無駄だと100%言い切る必要はないと思えてくる。今は完全にそれを悪にしているけど、そこまで悪と捉えていいものか。
S 潔く終わらせる事を強さとする、引き際の大事さみたいな考え方が日本人の日常には根付いてる様に思う。
A でもそういうことをこのサイトで言っていいのかと、未だに思うんですけど。たとえば自殺者を減らしたいという報道を見ると、本当に減らしたいと思うじゃないですか。一方で、そういう死のパターンもあったんだと肯定することもしたい。でも、そんなことはメディアではタブーだし、肯定することで自殺者が増えたらどうするんだと非難される。
S テーマが非常に大きいというか、根本を覆してしまう意見ではありますね。でも、その疑問を抱いている人は多いと思うし、その答えが出るとは思わないけど、考えている人たちがそのモヤモヤをもっと考えられるような状況があったらいいですよね。
A みんなタブー化するけれども、それを考えている人はいっぱいいて、それなのにないことのようにしていいのかってことですよね。
S 自殺を選んだ事を否定するのは、その人の人生を否定する事になると思う。それじゃあ残された遺族だってより辛い。そんな権利は誰にも無いし、僕はそんな事は絶対したくない。硫黄島の話もそうですよね。
(続く)
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